眠れぬ夜に夜永唄を聴きながら
今、神はサイコロを振らないの「夜永唄」を聴いて、改めて思ったのです。夫は私が意志のない人形だったらよかったんだろうなと。曲とはあまり関係のない感想です。
神はサイコロを振らない - 「夜永唄」 【Official Lyric Video】
私に人格を認めなかった夫
夫は私が夫と違う意志を持ち、行動することが許せなかったようです。自分の望む髪型と服装で、望む通りに振る舞う女性が欲しかったのでしょう。だったら、生身の女性じゃなくて、リカちゃん人形で良かったんじゃないのと思います。
昔の映画を思い出しました。ある少年が少女を好きになりました。少年は、自分の中で少女を理想化します。かわいくて、素直で、まっすぐだ、と。その理想像をどんどん膨らませていくのです。
ところが、少女は実際には不良でした。それに気づいた少年は失望します。それで彼女から離れればいいのですが、少年は少女に君は正しくない、こうあるべきだと訴えます。少女は答えます。そんなのは嫌だ、私はこうなんだと。その場を去ろうとする少女を、少年は刃物で何度も刺し、絶命させる……。
そんなストーリーでした。
自分の望む通りでないと許せない
この映画は、見る人の性別によっても感じ方が違うようです。私は主人公の少年に感情移入できませんでした。夫が見たら、少年の気持ちがよく分かるのでしょう。
なぜ他人が自分と別の人格を持つことが、許せないのでしょうか。自分の思う通りに動かせる人が、そんなに必要なのでしょうか。
夫の場合、人との関係は、支配するか、支配されるかの二項対立です。目上の人間の前で借りてきた猫のようになっているのに、目下の人間、特に女性を執拗にけなし、自分が上だとアピールします。私に限らず、仕事上付き合う女性や、女性の店員に対してはかなり露骨にそう振る舞います。
夫は変えられない。でも社会は変えられると信じたい
夫を恨むと同時に、そういう歪んだ人格に育てた義両親と、社会を恨みます。
私は夫と義両親を変えることはできません。彼らが私を変えるためにしたのと同じことを、やり返すつもりはないのです。人間の墓場みたいな家でした。敬して遠ざけます。
でも、社会をほんの少し変えることなら、できるかもしれない。
社会はDV加害者を日々製造しています。これから、どれだけ多くの被害者が生まれるかと思うと、空恐ろしくなるのです。行動すれば、変えることができると信じます。