差別する側になるよりされる側の方がいいと思った過去
今から20年以上前、私が初めて男女差別を知ったときの話をします。たぶん、小学校高学年のときに学校で習ったのだと思います。それまでもアニメとかドラマとか、実生活の中で何となく感じていた「女であることの生きづらさ」。それが明確に示されて、ああ、そうなんだと腹落ちした記憶があります。
女なんて嫌だと思った
私は小さいころ、男になりたかったのです。真剣に。田舎で、家の周りが男の子ばっかりだったのもあります。ふだんの遊びはサッカーや野球。カブトムシ、クワガタムシを捕まえて飼い、ミニ四駆を苦労して組み立てました。言葉遣いは完全に男。中身も男を目指していました。
でも、やっぱり女なんだと思ったのは、小学校高学年で初潮が来たとき。中高と制服がスカートで、嫌でたまりませんでした。嫌だと思いつつ、でも受け入れざるを得ないなと思う日々。「女なんて嫌」という考えを否定するために見つけた理屈が、「差別する側になるより、差別される側である方がいい」というものでした。
なんていう、きれいごとでしょう。今はどうかというと、そう思うときもあるし、全くそう思わないときもあります。
「女には生まれたくない」と言う夫
夫は「女には生まれたくない」と平然と言いました。それは、そうですね。自分みたいな男に理由もなく殴られるわけだから。それを耐え忍ばないといけないわけだから。夫の頭の中の女性って、そういうものだから。
20年前、女であることが嫌でたまらないのに、女であることに無理やり納得した私。今また、女であることがたまらなく嫌になっています。でも、夫のような男になるくらいだったら、死んだ方がマシです。そう思うと、女でよかったとも感じます。