パワハラだろうがセクハラだろうがDVだろうが、仕事ができれば社会はそれでいい 〈ボビー・オロゴン逮捕と、売れっ子編集者・箕輪厚介の文春報道に思うこと〉
被害者になって思うのです。社会って、それでいいんだ、と。DV加害者だろうが、パワハラの加害者だろうが、セクハラ加害者だろうが、要は仕事ができればいいんだ、と。
パワハラをにおわせてももてはやされる
週刊文春で、幻冬舎の見城徹社長のライターへのパワハラと言っていい扱いと、「天才編集者」と言われもする編集者の箕輪厚介のセクハラが取りざたされました。16日には、タレントのボビー・オロゴンが妻への暴力で逮捕されています。
箕輪厚介のことは、私はよく知りません。彼が担当した見城徹の書籍『たった一人の熱狂』を読んだことがあるだけです。ほかの2人については、そう報じられても驚きはないというか、「ふーん」と思ってしまう自分がいます。ボビー・オロゴンは過去に暴力沙汰があったらしいし、見城徹はそもそもパワハラ感が全開で、それが世間から受け入れられています。
能力のある人は劣る人を踏み台にしていい
能力がある人が、能力に劣る(と見なせる)人を踏み台にしてのし上がるのは、世間的にOKなんだ。これが、私がDV被害者になって学んだことです。
今は叩かれている3人ですが、じきに以前と変わらず仕事をしたり、露出したりするようになるでしょう。逮捕された場合はともかく、セクハラ、パワハラ程度なら、今の仕事への影響も極めて少ないはずです。
経済評論家の三橋貴明が2018年に妻への暴力で逮捕されています。逮捕を機に書籍が売れたとのこと。私はDV被害に遭ってから、このことを知り、何とも言えない気持ちになりました。
DVで逮捕されても、きっと釈放されてから「大変だったね」とねぎらう人がいるでしょうね。DVを罪と認識している人が、どのくらいいるでしょうか。パワハラ、セクハラを、許されないことだと思っている人が、どのくらいいるでしょうか。
社会的な成功の裏にある、踏みつけられ、すり潰された人々の話を聞きたい人は、ほとんどいません。
DV被害者になって学んだことです。
(敬称略)