DV被害の妻から伝えたい身近なDVの現実

DV被害の妻から伝えたい身近なDVの現実

配偶者からのDVを3人に一人の女性が経験しているとご存知ですか。DVは決して他人事ではありません。3年間DVを受けた体験から、被害者が自ら抜け出すことの難しさ、周囲の目の大切さを痛感しています。

うつ病の父がコロナで入院できなくなりました

うつ病の父がコロナで入院できなくなりました

うつ病を悪化させた父は、近く入院したいと病院に相談していました。ところが、実家がある田舎までコロナウイルス感染が広がり、入院できなくなってしまったのです。病状が悪化した責任は、私にもあると思っています。夫から家を追い出された後、実家に帰ったから。何が正解なのか。分からず悶々としています。

私のDVを知った後に病状が悪化した

父はうつ病にかかって数年になります。悪化し、よくなり、また悪化する――の繰り返しです。

私は夫から家を追い出された後、外泊を続けるお金がなく、それなのに行政の支援も受けられず、実家に突然、帰りました。明らかに変なタイミングだったので、理由を言わないわけにはいかず、そして私自身も隠しておけないと思ったため、3年間DVを受けていたと話しました。

私が実家にいる間、父の調子は良かったのです。しかし、実家を離れて1週間後に電話をすると、別人のような、一気に年をとったような声で電話に出ました。それから1カ月半近く、病状は悪化の一途をたどっています。

希死念慮が強く入院するはずだった

両親は、たまたま悪化の波が、私が帰った後に来ただけだから、私に責任はないと言います。でも、そうは思えません。
父は死にたいという思いが強く、家では何もせず、ぼーっとするか寝ている。でも苦しくて、死にたくて仕方ないようなのです。以前も入院したことのある精神病院に再入院するという話になっていました。

入院を断られる

ところが、この1週間で実家のある田舎で、感染者が増えてきたのです。田舎の方が、大都市よりもコロナへの警戒感が薄いので、仕方のないことではあります。そのため、これから入院する患者は病院内のトイレ付きの個室に2週間隔離することになり、重症者しか受け入れられないと説明されたそうです。

通常の入院だと、食堂で食事をしたり、散歩をしたりといった息抜きができます。2週間の小部屋での隔離となると、病状がなおさら悪化しそうですし、そもそも重症者の扱いにならず、入院はあきらめたそうです。病院の判断は、間違っていないと思います。新たに患者を受け入れて、院内感染になったら大変です。でもその結果、父は家で苦しみ続けることになりました。

誰が悪いわけでもないと思いたい。もちろん、田舎まで感染を広げてしまった政治の無策は、批判され、検証されるべきです。でも、こうしている間にも感染がどんどん広がっているという現実が重たすぎて、怒りよりも絶望の方が心を覆っていきます。

実家に帰ったのは間違いだったのか

父が入院できなくなったと聞いてから、どうすればよかったのかと自問しています。両親に言うべきではなかったかもしれない。でも、当時の私の選択肢は、「実家に帰る」しかありませんでした。お金はない。でもシェルターに入れないし、行政の支援が受けられない。実際、行政相談で「家族を頼れないのか」「実家に帰れないのか」と、複数の方から聞かれました。

 

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家がないまま、どうやって当面の生活を送ればいいか。私が出した答えは「実家に帰る」でした。

今でも、それしかなかったと思います。でも、父のようすを電話で母から聞いて、心が揺らいでいます。

行政の支援が受けられず実家に頼った

夫がいる家に戻ればよかったのか。

そうは思いません。

 

でも実家に帰って正解だったのか。

それも違う気がします。

 

当時の私にはこの選択肢しかありませんでした。外泊を続けることはできませんでした。新しい生活のために節約がしたかった。

父の病気のことは考えました。それを考えていたからこそ、夫の暴力に耐え続けたところもあります。父が知ったら大変なことになると思ったから、いい夫婦を演じ続けていたのです。でも、もう限界でした。

本当ならもっと早くに、計画的に別居して離婚すればよかったのです。でも、残念ながら私にはできませんでした。自分が限界を迎え、夫から家を追い出され、八方ふさがりのような状態になってしまった。

 

どうすればよかったのか。

わかりません。

せめて、私のようなものでも、実家以外に頼れる支援のしくみさえあれば……。

今はそう感じています。

 

 

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